初めて見た、石崎奉燈祭は感動の一言でした!!
こんばんは!トイレメンテナンスのスマイルの近藤です。
さて、この土日月と3日間、和倉に旅行に行ってきたのですが、その目的の1つが「石崎奉燈祭」です。
実は和倉には、ひょんなことで知り合った方がいて、そのご家族さんと一緒にお祭りの会場へ行くことに(旅館までお迎えに来ていただいて、感謝感謝です)。
会場に近づくと、大漁旗が・・・

漁師町を感じさせる雰囲気が漂ってきます。
そしてメインの会場へ

これが1つ大体2トン程度あるそうです。
これを100人程の男で担いで町を練り歩くのです!!
で、夜になると・・

奉燈に明かりが灯り、いよいよ夜の祭りの始まりです(なんでも昼から既に始まっているそうですが、メインは夜のようです)。
これぞ祭り!!と言った感じで、見ているだけでも興奮します。
しかし、今回はご一緒してくださったご家族さんの好意で、なんとメイン会場の角地にある、弁天湯さん(2枚目の写真の右側に写っています)の2階からお祭りを見させていただきました。
まさにVIP席です!!
ここから見る、お祭りはもう最高でした。
感動と言うか、感激と言うか、私も妻も2人ではしゃぎまくっていました!!

ところで・・この日はこの町にとって、1年に1回のビッグイベントです。
もう町中あげてのお祭りなのです。

写真では分かりにくいのですが、家という家が玄関はもちろんのこと、ふすまも全て取り払って、外から家の中が丸見えになるようにして、そこで皆さん食事をされています。
なんでも、そのような風習らしく、昔はどこの人でも来たら拒まずに食事や酒を出したそうです。
お祭りが始まるまで、町を歩いたのですが、本当にどこの家も開けっ放しで食事をしているのには驚きました。
京都は都があったためか、このような所謂「男の祭り」みたいなものがありません。
それだけに、勇壮な祭りを見て「おおっ~、これぞ祭りや!!」と一人興奮していました。
また、私はいわゆる新興住宅地に育った人なので、本当の意味での「地元」というのがあるような、ないような感じ意です。
でも、ここの町を見て、地元があるっていいな~!!って本当、思いました。
今、東北で震災が起こってから、高台への移転とかが言われていますが、今までなら「出来れば早く移転した方がよいのに」と思っていましたが、この町を見てからは、地元を離れることのつらさ、大変さは私たちの想像以上のものなんだな!と改めて思わずにはいられません。
ただ、この祭りも最近の人口減少により担ぎ手さんがいないそうです。
近所から応援に来てもらったりしているそうですが、どうかこれからも、このお祭りが続くことを祈っております。
さて、この土日月と3日間、和倉に旅行に行ってきたのですが、その目的の1つが「石崎奉燈祭」です。
実は和倉には、ひょんなことで知り合った方がいて、そのご家族さんと一緒にお祭りの会場へ行くことに(旅館までお迎えに来ていただいて、感謝感謝です)。
会場に近づくと、大漁旗が・・・

漁師町を感じさせる雰囲気が漂ってきます。
そしてメインの会場へ

これが1つ大体2トン程度あるそうです。
これを100人程の男で担いで町を練り歩くのです!!
で、夜になると・・

奉燈に明かりが灯り、いよいよ夜の祭りの始まりです(なんでも昼から既に始まっているそうですが、メインは夜のようです)。
これぞ祭り!!と言った感じで、見ているだけでも興奮します。
しかし、今回はご一緒してくださったご家族さんの好意で、なんとメイン会場の角地にある、弁天湯さん(2枚目の写真の右側に写っています)の2階からお祭りを見させていただきました。
まさにVIP席です!!
ここから見る、お祭りはもう最高でした。
感動と言うか、感激と言うか、私も妻も2人ではしゃぎまくっていました!!

ところで・・この日はこの町にとって、1年に1回のビッグイベントです。
もう町中あげてのお祭りなのです。

写真では分かりにくいのですが、家という家が玄関はもちろんのこと、ふすまも全て取り払って、外から家の中が丸見えになるようにして、そこで皆さん食事をされています。
なんでも、そのような風習らしく、昔はどこの人でも来たら拒まずに食事や酒を出したそうです。
お祭りが始まるまで、町を歩いたのですが、本当にどこの家も開けっ放しで食事をしているのには驚きました。
京都は都があったためか、このような所謂「男の祭り」みたいなものがありません。
それだけに、勇壮な祭りを見て「おおっ~、これぞ祭りや!!」と一人興奮していました。
また、私はいわゆる新興住宅地に育った人なので、本当の意味での「地元」というのがあるような、ないような感じ意です。
でも、ここの町を見て、地元があるっていいな~!!って本当、思いました。
今、東北で震災が起こってから、高台への移転とかが言われていますが、今までなら「出来れば早く移転した方がよいのに」と思っていましたが、この町を見てからは、地元を離れることのつらさ、大変さは私たちの想像以上のものなんだな!と改めて思わずにはいられません。
ただ、この祭りも最近の人口減少により担ぎ手さんがいないそうです。
近所から応援に来てもらったりしているそうですが、どうかこれからも、このお祭りが続くことを祈っております。
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